かすみっくす

その人自身の得意とする方法で表現・循環できる場をつくり“生ききる”人を増やしていきます。

サイコロと大地

あたまの中 その5

最近、ひとあたりが良いとか
話しやすいとか
接客がいいねと言っていただける

まぁ嬉しいんだけど
どうでも良い自分がいる

はぁ、そうですか。
よかったですね。
て感じ。

こないだたまたま
仕事で一緒になった方を見ていて

あーこのひとは
こういう仕事のワクに囚われていたくて
そんなワクにはまってる
自分が気持ちいいんだなーなんて思った

そう言っている自分。
そう行動してる自分。
そう見られるであろう自分。

それが気持ちいいんだねー。

はまってがんばってんだか
がんばってはまってんだか知らんけど
そんな自分を認めて欲しくて
見て欲しいんだなぁ

なんてのは
実際彼女に聞いたわけでもなく
想像でしかないわけで

さらに言うと、
過去に自分がそうだったから
勝手につなぎ合わせてるだけで
彼女の中では違うという可能性もある

鏡ってそういうことで
結局、すべて自分なんだね

彼女が教えてくれたのは
あの頃の自分

『自分』がわからなくて
自分の世界に『自分』がいなくて
不安定で
怖くて

『自分がある』ことに気付いてないから

自分以外の何かにしがみついてないと
自分以外の何かにこだわってないと
自分以外のワクにはまってないと
自分以外の事柄を知ってないと
自分以外の誰かに従わないと
自分以外の誰かの感情に乗らないと
自分をころさないと

存在しちゃいけない気持ちになる

自分があるんだって思い出して
自分の世界に自分が出てくるようになると

今まで入ろうともがいてたそのワクが
どんだけ小さくて
自分というのもが
どこまでも続く地平線のように
ワクとかいう概念すら
存在しない存在だったんだって思える

もうね、本来の自分からしたら
そのワクなんて
サイコロくらいの大きさよ。笑

どこまでも続く大地が
サイコロに入ろうなんて
馬鹿なこと言ってんじゃないよ。

無理無理。無理無理。

サイコロなんぞ放り投げて
大いなる地を楽しもう。
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善と悪

あたまの中その4

わたしはもう
いままでの、わたしでは
生きてられない

性善説のみの私では
もう無理がある

性悪説のわたしも
使っていかないと

前までは
性善説でいないと
生きていけなかった

性悪説
当時の私には
きつかった

いくらでも
悪く考えることができた

受け止めきれずに
押しつぶされてしんでしまう

だから100%性善説でいた
そのほうが楽だった

けどそれは
間違った性善説でもあった

みんないいひと。
みんなすごいひと。

でも、わたしは…

わたしはだめなひと。
わたしは下位の存在。

みんないいひと
わたしだめなひと

いいひとが言うことは
全部受け入れていかなくちゃ。

だめなわたしを
救おうとしてくれてるんだから。

だめなわたしは
いいひとに、
ちょっとでもいいとこみせなきゃ。

じゃなきゃ、
だめなわたしは救われない。

みんな、だめなわたしに
教えてくれてるんだから。

そんな間違った性善説

けどこれも
プロセスのひとつで。

極端をけいけんして
まんなかに戻ってくる。

中庸。

これから向かうところは
そこなんだな。


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カタチと中身

あたまの中 その3

 

なんでカタチに囚われるんやろ?

たぶんはじめは違ったんだ。

 

なんでもやり始めは質問が出る

「これはなに?」

「どうするの?」

「どうしたらできるの?」

「なんでそれをやる必要があるの?」

 

なんでー?どうしてー?

を、繰り返している自分がいる。

 

ただ知りたいだけなんだけど。

ただ把握したいだけなんだけど。

 

けど度が過ぎちゃって

うるさい黙れって怒られた事があるっぽい。

子どもだからって

適当な言葉ではぐらかされたことがあるっぽい。

 

それが何度もあって聞くのが億劫になった。

悲しかったし理不尽だし馬鹿にされてるな。

これもパターンか。

 

けど知識欲がなくなったわけじゃないから

自分の中の質問は止まらない。

でも聞けない。

だからとりあえずカタチだけやっとく。

カタチだけでもやっといたら

わかる日が来るって信じていた。

 

剣道は中学校3年間

がむしゃらにやっていただけだったから

よくわからなかったけど

 

高校大学の7年間やっていた

弓道に関して言えば

正直わかるものもあれば

わからないものあった。

 

どちらかというと

圧倒的にわからないことのほうが多かったけど

 

まぁ狩猟時代からある弓を

たかだが7年でわかろうなんてのも

無謀な話ではあるが

 

そんなに目立った成績があったわけではなく

やきもきしながら半分やけになって練習していた

大学時代のとある日

師範がいらっしゃっていた

 

何かつかみかけているのにうまくいかない

 

師範は引き分ける前の

私の押手(左腕のこと)の一部を

ちょいと押さえてくれて

そのまま引き分けてくると

 

押手が今まで見たことない動きをして

あんなに早気(早 漏みたいなもんです)だったのに

めちゃくちゃ気持ちよく伸びあえて

エクスタシーを感じるくらいの

気持ちよさしかない離れをし

当たり前のようにど真ん中に矢が吸い込まれていって

的中音も今までとは全然違って

 

超びっくりした

 

再現性はめちゃくちゃあった

もともと体感覚が強かったし

練習だけはしてて筋肉量もあったから

ここをこう、ってすぐ覚えた

 

けど

けど

けど

 

びびってやめてしまった

 

『中(あた)る選手である佐竹香澄』は

弓道部的には必要だったのに

当時の人間関係とか、

他に努力してる人がいっぱいいるのに

私だけこんなに

気持ちよく中てられちゃうなんて

イケないことだ!

とか

なんかようわからんぐちゃぐちゃした思いがあって

中る私は存在してはいけない、と思ってしまった

 

意識の上では中てようとしていたんだけど

深いところではそうだった。

 

後悔していることのひとつ。

本当はそのまま楽しみたかった。

弓・矢・弦と、体と、心が一体になった感覚。

中りとかはずれとか、そういうレベルの話じゃなくて

何か真理に繋がる道のひとつだったように思う

けれどそこに行くのが、乗るのが怖かった。

 

卒業してから

社会人弓道部に誘われたけど

行かなかった

もう集団で何かをやるのは嫌だった

見るのも見られるのも嫌だった

無人島に行きたかった

 

結局、中身を見るのが嫌だったんだ

何度も出てきているのは

『怖い』とか『恐れ』って単語

蓋開けてみたら

助けてもらわないと何もできない

クソガキな私がいるだけなんだから

 

あ、赤ちゃんかもしれない

 

お仕事では

わからないことだらけだし

同じように見えることでも

状況が違えば対応が変わるし

聞くしかないんだけど

 

もうなんかわかんないことだらけすぎて

どれがなんなのか・・・

勉強するにも何からやったらいいのか・・・

特技の空回りを遺憾なく発揮し・・・

一体何を求められてるのか・・・

出さないとわからないのだろうけれど。

私の中の正解を。。

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望んでいたことは

あたまの中その2

前記事を見直していて思ったのは、
「あ、わたし失敗したかったんだ」
ってところで。

器用貧乏かつ見た目が
[可愛い<<<<<格好いい]の私は
“デキる人”にみられやすかった。

けど中身はヘタレで
しかも一回こっきりのデキる人だから、
付き合いが長くなればなるほど
特に仕事面で
落胆されることが多いと感じている。

こんなはずじゃなかった。
期待はずれだ。

誰より自分が自分にそう思っている。

初対面の印象に応えようと
頑張ったときもあったけれど
それは自分にとって辛かったしきつかった。
いつの間にか批判的になっていた。
いつも誰かのせいにする自分がいた。
無理だった。
あれは自分じゃなかった。

でも嫌だった。
落胆されるのが怖かった。
あの絶望と怒りが混じった
表情を見るのは心苦しかった。

一回できてあと続かないってパターンは
失敗したかったからなんだと思う。

出来続けてしまうと、
それが当たり前になって
助けを求められなくなると思ってる。

そう。
本当は助けて欲しいんだ。

助けを求めちゃだめだと思ってた。
お父さんは仕事で忙しいから。
お母さんは自分のことで精一杯だから。

頼っちゃだめだ。
迷惑だから。
他人になんて、なおのこと。
ぜんぶ自分でやらなきゃ。

昔から誰かに相談するなんて
したことがなかった。

高校も大学もその後も、
進路は決定後の事後報告。

「かすみん悩みなさそうだよね」

んなわけあるか。
相談するようなことがないだけじゃ。
相談の仕方がわからんのじゃ。
何を相談するのかもわからんのじゃ。

最近ありがたいことに
いろんな方が話聞いてくださるけれど、
これが相談なのか雑談なのかすらも
よくわかってない。

よくわかってないけど、
聞いてもらって
フィードバックもらって
ものすごい気付きを得ている。 

前回、守破離について書いたけど
あんなに【守】について反応していた割に
私はカタチにとらわれてしまう方。

カタチをやってりゃ楽だからさ。
中身がなくったってそれなりに見える。

自分の中でものすごい矛盾が起きてる。

器用貧乏の部分は、
カタチだけできてるってこと。

それ以降、失敗したりするのは
私の中身がないから。

失敗したかったのは、
たすけてほしかったのは、
私の中身の部分。

けど、助けを求めちゃダメだと思ってたから
カタチだけがんばることになっちゃった。

はーそういうことですかー。

飲食やってた頃、ある店舗にヘルプ行ったら
『佐竹さんってウルトラマンみたいですね』
って言われたことがある。

曰く、必要な時に
必要なところへ来てくれる、
という意味だそうな。

ピーク時、
ウェイティングのお客様がいる中で
帰られるお客様がいて
ドリンク・料理も出て。

という状況での優先順位と
他のスタッフの動きを見ての判断と
動きの素早さを評価してくださったみたい。

その頃はもはや優先順位とかは
体に叩き込まれてたから動くことができた

昔から人の
『助けて欲しいであろう部分』はわかる。
みんなもそうなんかも知れんけど。

けど結局いちばん助けて欲しいのは、
ウルトラマンを求めてるのは私自身。

ん?

私がウルトラマンならば
私が私を助けたら良くない?

ああ、違う違う。
それだと偏る。

佐竹香澄という名のウルトラマン
それが必要な人を助けて
誰か違う名前のウルトラマン
私の求めてる助けをくれるんだきっと。
もちろん基本は自分でやるだけど。
今までもずっとそうだった。
昨日のななほさんとのやり取りもそうだし。

私の求めてる助けってのが
なんとなくあるんだけれど
まだモヤっとしている。

なかなか核心にいかない。

けどとにかく私は
助けて欲しいって
言う必要があることがわかった。

あたまの中

今日、ななほさんとやり取りをしていて気付いたのだけれど

私のあたまの中は、人よりすこし言葉の数が多いのかも知れない。

 

以前、誰かに言ったことがあるんだが

ひとつの事象について、いくつかのこたえが出る。

 

それは、脳内に友人知人がたくさんいて勝手に話している感覚。

 

たとえば目の前にいちごのワッフルがあったとする。

 

それに対する自分の反応は、「おいしそー!」なのだが

脳内にいる人たちがいろんなことを言っている。

 

A「甘そう」

B「はやく食べよ♪」

C「抹茶のが良かったなー」

D「どんだけ添加物入ってるんかな」

E「えーおなかいっぱーい」

F「それより眠い」

 

だいたいは、友人・知人の残像みたいなもの。

わたしはこの中から最適解をはじき出している。

 

ななほさんに言われて納得したのは、

“かすみんは今まで『言わない』という最適解を選んできたんだね”

というところで。

 

確かにそうだ。

 

心の中では色々ごちゃごちゃ思ってるんだけど、

それを表現できる術がなくて、

あったとしても全部伝えられなくて、

どこが重要かもわからないし

相手を混乱させるくらいなら

じぶんのことがうまく伝えられないのなら

もうそれは伝える価値はないし

相手はわたしが伝えようが伝えまいがどっちでもいいだろうし

受取ってもらえないと思っていたから

『言わない・伝えない』というのが最適解と思っていた。

 

けれどこれはもう古いパターンなんだな。

 

このパターンが出来上がったのは

たぶん小学生とか、それくらいなんだけれど

そこから比べて今の自分はきっと成長しているし、

伝えようと思えば伝えられるし

何より受取ってくれる人が居ることを知っている。

 

そして『言わないと・伝えないと』

生きていけないことに気付いている。

 

コミュニケーション。

今までは、自分を出さないことが

波風立てずに穏やかに過ごす方法だと思っていた。

けれど、

言わないことで思わぬ荒波にもまれることもある。

伝えないことで不信感をもたれることもある。

 

一番怖い、関わりたくないひとって、

【何を考えているのかわからない人】

だと思う。

 

そう思いながらも、私は古いパターンから抜け出せずに

『言わない』を選択し続けてきた。

 

あたまの中は以前より静かにはなっているけど、

相変わらずちょこちょこ口出す人はいる。

 

書きながら気付いたんだけれど

私が『言わない』ことで

【何を考えているのかわからない人】を演じているのは

コントロールされたくないから、だ。

 

自分のことを言ってしまうと、伝えてしまうと

ならばこうしてやろうとか、ああしてやろうとか

そういった人にいいように使われるだけになってまうのではないか。

もしくは搾取されるだけになってしまうのではないか。

レッテル貼られて適正に見てもらえなくなるのではないか。

それを恐れてる。

 

守破離

中学時代、剣道部でこの言葉を知ってすごく好きになった。

だってフラクタルだから。

何にでも適用できると思ってる。

 

最初は師匠や上の人の教えを守り基礎を作る。

そしてだんだんとそれを破り、自分のものにしていき

最後は師を離れ自らを確立する。

 

コントロールされたくない私は、

この【守】をコントロールとみなしてしまう。

 

本当はもっといいやり方があるのかも知れない。

本当はもっと好きなことがあるのかも知れない。

本当はもっと違う自分がいるのかも知れない。

 

なのに何故これをやらなくちゃいけないの?

もっともっとほかのことをやっていっちゃだめなの?

ひとつのことを極めてからじゃないとだめなの?

可能性を全部やってみるのはだめなの?

知ってないとだめなの?

経験してないとだめなの?

 

私は昔から器用貧乏なところがあって、

たいていのことは見よう見まねでそれなりにできちゃってたから

(これ本当は認めたくない、、ううう)

余計に、はい次、はい次!ってなってたのかもだけど。

 

ちなみにどれだけ器用貧乏かというと、

内申点がほぼオール4という器用貧乏さ。

※ただし体育は3

 

ついでに資格は二級建築士と簿記3級持ちという

畑違いのところもいけちゃう器用貧乏さ。

 

【守】は、学び方のスタイルを守ることだと思う。

その人に合ったスタイル。

 

人の数だけあるから、どれがどうなんていえないけど。

ある人は昔ながらのやり方が合うだろうし

またある人はマンツーマンがいいのかも知れない。

 

私はとりあえず従来のやり方をしてみて、

途中で人がつまづかないようなとこでつまづいて

あれこれ試しつつ、諦めそうになりつつ

最終的になんか偉い人に助けてもらう学びパターンが多い。

 

・・・普通か?笑

 

器用貧乏のところは、

たとえば先生がやってるお手本をじーっと見ていて

それを体現・再現するって思うと簡単にできた。

もしくはあたまの中でリアルにイメージしたことなら

体が勝手に再現してくれる感じがあった。

 

けど最初の一回だけ。

これはいまでもそうなんだけど

最初の一発以外は気が抜けるんだ、何故か。

 

なので毎朝のあいさつの動画投稿もワンテイクで撮ってる。

何より気持ちが萎えてしまうから。

萎えると、何度でもやり直せると思うと、気が入らないのね。

 

これは剣道と弓道をやってたことに関係あるのかもしれない。

竹刀が真剣だったら。

いちど放った矢は戻らない。

 

それから岡本太郎さん。

私は彼が大好きなのだが、彼は

「一瞬一瞬を、火花のように、ぱぁっと輝かせるんだ」

と言っている。しびれる。

 

いまの私にはとにかく脳内アウトプットが必要と思い

出てくる言葉をとめどなく連ねました。

 

読みにくかったことでしょう笑

私自身こんなに蓄積されてるとは思わなかったけど

いろんなことを考えてたんだな。

 

たまにこれ、やろう。

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家族の愛。

ディズニーシー行ったら、何故か
お金が増えました。

うちから舞浜までは
チャリの距離なので交通費かからず。

舞浜からシーまでは
ディズニーリゾートラインで片道260円で。

母たちが、祖母に私とディズニー行く旨を伝えたらお小遣いをくれたから、それでチケットをペイできて。

パーク内では母にチェシャ猫のかぶりものを買ってもらい。

カードのポイントが2倍つくからという理由で、妹が食事系をフルおごりしてくれ。

おみやげも母がついでに買ってくれて。

妹たちのチケットに特典でついてたイクスピアリお買物券をもらい。

何故か帰りにおひねりをいただき。

ついでに実家から最中も持ってきてくれて。

わたし出したの
ディズニーリゾートラインの520円だけだわ。

むしろかなりだいぶプラスなんですけど。

なんぞこれ。
なんぞこれ。
なんぞこれ。

相変わらず豊かすぎるぞ佐竹家。
相変わらず愛されてるぞ香澄。

帰り道、チャリこぎながら泣きました。
帰ってきて、ひとりになって泣きました。

母からの、妹からの愛情。

それから、祖母からの、
母を通して父からの愛情。

目の前にはいなかったけれど
めちゃくちゃ感じました。

自分を大事にしようって、
心から思いました。

あぁ、ほんとうに。

わたしは受け取ることができてしあわせです。

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平和と刺激

母と妹と、ディズニーシーへ行ってきました。

お天気もよく、
そこまで寒くなく
平日で人も少なめで快適でした^^

家族でディズニー来たのは小学校5年生以来なので、実に18年ぶり。
しかも母はシーにくるのははじめてです。

18年前来たときは、休日でまだシーもなかったしめちゃくちゃ混んでいて
せっかちな母はブチギレまくっていました。

ミッキーの家に並んでは
『たかが着ぐるみに会うだけでこんな並ぶとかあほらしい』

お昼時には
『こんな高いのにこんなんかよ』

そしてスペースマウンテンに並んでるとき
『まだかよこんだけしか進まんのかよはよしろよ』
みたいな言葉を連呼してた母に耐えられなくなり、私だけ泣きながら離脱しました。

そんな文句言ったって、どうにもならんやんか!どうしようもないやんか!
なのになんでそんなに言うの?意味わからん!

めちゃくちゃ頭が沸騰してました。笑

ディズニーに限らず、母と出かけるとだいたいそんな感じだったので今回大丈夫かしらと内心ビクついてたのですが笑

だいたいのアトラクションが長くて50分待ちとかで、しかもいつのまにかディズニーマスターになっていた妹のおかげでファストパスとりまくりちゃっちゃと楽しめました♪

母がどれだけアトラクション耐性(?)あるのかわからなくて
とりあえず0分待ちのアクアトピア行ってみたら

「楽しかった、もう一回乗りたい」

レイジングスピリッツ
「えーもう終わり?」

インディ・ジョーンズ
「これももう終わりなの?」

ちょ、どんだけだよと思って
最後にタワー・オブ・テラーLEVEL13

「おかん、どうやった?」

「また乗りたい!楽しかった」


あ、うん、わかった。
この人、刺激を求めてるんだ。

毎日が平和すぎて刺激を求めてるんだ。

18年前からそうだったんだ。


ただそれだけだった。
なんかようわからんけど納得した。

そしてそれは強烈な鏡で。

わたしもまた、
毎日を大切に丁寧に過ごしたいと思いつつも
ドラマティックな、
特別な出来事を求めているなーと感じた。

別に、悪いことではなくて、
そういうクセなんだけれど。

けど、やっぱり思うのは
毎日の、食べる、寝る、出す、話すっていう
生活があってこその
非現実。夢の国。ですね。

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