かすみっくす

その人自身の得意とする方法で表現・循環できる場をつくり“生ききる”人を増やしていきます。

あたまの中

今日、ななほさんとやり取りをしていて気付いたのだけれど

私のあたまの中は、人よりすこし言葉の数が多いのかも知れない。

 

以前、誰かに言ったことがあるんだが

ひとつの事象について、いくつかのこたえが出る。

 

それは、脳内に友人知人がたくさんいて勝手に話している感覚。

 

たとえば目の前にいちごのワッフルがあったとする。

 

それに対する自分の反応は、「おいしそー!」なのだが

脳内にいる人たちがいろんなことを言っている。

 

A「甘そう」

B「はやく食べよ♪」

C「抹茶のが良かったなー」

D「どんだけ添加物入ってるんかな」

E「えーおなかいっぱーい」

F「それより眠い」

 

だいたいは、友人・知人の残像みたいなもの。

わたしはこの中から最適解をはじき出している。

 

ななほさんに言われて納得したのは、

“かすみんは今まで『言わない』という最適解を選んできたんだね”

というところで。

 

確かにそうだ。

 

心の中では色々ごちゃごちゃ思ってるんだけど、

それを表現できる術がなくて、

あったとしても全部伝えられなくて、

どこが重要かもわからないし

相手を混乱させるくらいなら

じぶんのことがうまく伝えられないのなら

もうそれは伝える価値はないし

相手はわたしが伝えようが伝えまいがどっちでもいいだろうし

受取ってもらえないと思っていたから

『言わない・伝えない』というのが最適解と思っていた。

 

けれどこれはもう古いパターンなんだな。

 

このパターンが出来上がったのは

たぶん小学生とか、それくらいなんだけれど

そこから比べて今の自分はきっと成長しているし、

伝えようと思えば伝えられるし

何より受取ってくれる人が居ることを知っている。

 

そして『言わないと・伝えないと』

生きていけないことに気付いている。

 

コミュニケーション。

今までは、自分を出さないことが

波風立てずに穏やかに過ごす方法だと思っていた。

けれど、

言わないことで思わぬ荒波にもまれることもある。

伝えないことで不信感をもたれることもある。

 

一番怖い、関わりたくないひとって、

【何を考えているのかわからない人】

だと思う。

 

そう思いながらも、私は古いパターンから抜け出せずに

『言わない』を選択し続けてきた。

 

あたまの中は以前より静かにはなっているけど、

相変わらずちょこちょこ口出す人はいる。

 

書きながら気付いたんだけれど

私が『言わない』ことで

【何を考えているのかわからない人】を演じているのは

コントロールされたくないから、だ。

 

自分のことを言ってしまうと、伝えてしまうと

ならばこうしてやろうとか、ああしてやろうとか

そういった人にいいように使われるだけになってまうのではないか。

もしくは搾取されるだけになってしまうのではないか。

レッテル貼られて適正に見てもらえなくなるのではないか。

それを恐れてる。

 

守破離

中学時代、剣道部でこの言葉を知ってすごく好きになった。

だってフラクタルだから。

何にでも適用できると思ってる。

 

最初は師匠や上の人の教えを守り基礎を作る。

そしてだんだんとそれを破り、自分のものにしていき

最後は師を離れ自らを確立する。

 

コントロールされたくない私は、

この【守】をコントロールとみなしてしまう。

 

本当はもっといいやり方があるのかも知れない。

本当はもっと好きなことがあるのかも知れない。

本当はもっと違う自分がいるのかも知れない。

 

なのに何故これをやらなくちゃいけないの?

もっともっとほかのことをやっていっちゃだめなの?

ひとつのことを極めてからじゃないとだめなの?

可能性を全部やってみるのはだめなの?

知ってないとだめなの?

経験してないとだめなの?

 

私は昔から器用貧乏なところがあって、

たいていのことは見よう見まねでそれなりにできちゃってたから

(これ本当は認めたくない、、ううう)

余計に、はい次、はい次!ってなってたのかもだけど。

 

ちなみにどれだけ器用貧乏かというと、

内申点がほぼオール4という器用貧乏さ。

※ただし体育は3

 

ついでに資格は二級建築士と簿記3級持ちという

畑違いのところもいけちゃう器用貧乏さ。

 

【守】は、学び方のスタイルを守ることだと思う。

その人に合ったスタイル。

 

人の数だけあるから、どれがどうなんていえないけど。

ある人は昔ながらのやり方が合うだろうし

またある人はマンツーマンがいいのかも知れない。

 

私はとりあえず従来のやり方をしてみて、

途中で人がつまづかないようなとこでつまづいて

あれこれ試しつつ、諦めそうになりつつ

最終的になんか偉い人に助けてもらう学びパターンが多い。

 

・・・普通か?笑

 

器用貧乏のところは、

たとえば先生がやってるお手本をじーっと見ていて

それを体現・再現するって思うと簡単にできた。

もしくはあたまの中でリアルにイメージしたことなら

体が勝手に再現してくれる感じがあった。

 

けど最初の一回だけ。

これはいまでもそうなんだけど

最初の一発以外は気が抜けるんだ、何故か。

 

なので毎朝のあいさつの動画投稿もワンテイクで撮ってる。

何より気持ちが萎えてしまうから。

萎えると、何度でもやり直せると思うと、気が入らないのね。

 

これは剣道と弓道をやってたことに関係あるのかもしれない。

竹刀が真剣だったら。

いちど放った矢は戻らない。

 

それから岡本太郎さん。

私は彼が大好きなのだが、彼は

「一瞬一瞬を、火花のように、ぱぁっと輝かせるんだ」

と言っている。しびれる。

 

いまの私にはとにかく脳内アウトプットが必要と思い

出てくる言葉をとめどなく連ねました。

 

読みにくかったことでしょう笑

私自身こんなに蓄積されてるとは思わなかったけど

いろんなことを考えてたんだな。

 

たまにこれ、やろう。

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