かすみっくす

その人自身の得意とする方法で表現・循環できる場をつくり“生ききる”人を増やしていきます。

望んでいたことは

あたまの中その2

前記事を見直していて思ったのは、
「あ、わたし失敗したかったんだ」
ってところで。

器用貧乏かつ見た目が
[可愛い<<<<<格好いい]の私は
“デキる人”にみられやすかった。

けど中身はヘタレで
しかも一回こっきりのデキる人だから、
付き合いが長くなればなるほど
特に仕事面で
落胆されることが多いと感じている。

こんなはずじゃなかった。
期待はずれだ。

誰より自分が自分にそう思っている。

初対面の印象に応えようと
頑張ったときもあったけれど
それは自分にとって辛かったしきつかった。
いつの間にか批判的になっていた。
いつも誰かのせいにする自分がいた。
無理だった。
あれは自分じゃなかった。

でも嫌だった。
落胆されるのが怖かった。
あの絶望と怒りが混じった
表情を見るのは心苦しかった。

一回できてあと続かないってパターンは
失敗したかったからなんだと思う。

出来続けてしまうと、
それが当たり前になって
助けを求められなくなると思ってる。

そう。
本当は助けて欲しいんだ。

助けを求めちゃだめだと思ってた。
お父さんは仕事で忙しいから。
お母さんは自分のことで精一杯だから。

頼っちゃだめだ。
迷惑だから。
他人になんて、なおのこと。
ぜんぶ自分でやらなきゃ。

昔から誰かに相談するなんて
したことがなかった。

高校も大学もその後も、
進路は決定後の事後報告。

「かすみん悩みなさそうだよね」

んなわけあるか。
相談するようなことがないだけじゃ。
相談の仕方がわからんのじゃ。
何を相談するのかもわからんのじゃ。

最近ありがたいことに
いろんな方が話聞いてくださるけれど、
これが相談なのか雑談なのかすらも
よくわかってない。

よくわかってないけど、
聞いてもらって
フィードバックもらって
ものすごい気付きを得ている。 

前回、守破離について書いたけど
あんなに【守】について反応していた割に
私はカタチにとらわれてしまう方。

カタチをやってりゃ楽だからさ。
中身がなくったってそれなりに見える。

自分の中でものすごい矛盾が起きてる。

器用貧乏の部分は、
カタチだけできてるってこと。

それ以降、失敗したりするのは
私の中身がないから。

失敗したかったのは、
たすけてほしかったのは、
私の中身の部分。

けど、助けを求めちゃダメだと思ってたから
カタチだけがんばることになっちゃった。

はーそういうことですかー。

飲食やってた頃、ある店舗にヘルプ行ったら
『佐竹さんってウルトラマンみたいですね』
って言われたことがある。

曰く、必要な時に
必要なところへ来てくれる、
という意味だそうな。

ピーク時、
ウェイティングのお客様がいる中で
帰られるお客様がいて
ドリンク・料理も出て。

という状況での優先順位と
他のスタッフの動きを見ての判断と
動きの素早さを評価してくださったみたい。

その頃はもはや優先順位とかは
体に叩き込まれてたから動くことができた

昔から人の
『助けて欲しいであろう部分』はわかる。
みんなもそうなんかも知れんけど。

けど結局いちばん助けて欲しいのは、
ウルトラマンを求めてるのは私自身。

ん?

私がウルトラマンならば
私が私を助けたら良くない?

ああ、違う違う。
それだと偏る。

佐竹香澄という名のウルトラマン
それが必要な人を助けて
誰か違う名前のウルトラマン
私の求めてる助けをくれるんだきっと。
もちろん基本は自分でやるだけど。
今までもずっとそうだった。
昨日のななほさんとのやり取りもそうだし。

私の求めてる助けってのが
なんとなくあるんだけれど
まだモヤっとしている。

なかなか核心にいかない。

けどとにかく私は
助けて欲しいって
言う必要があることがわかった。